SUPER FORMULA、SUPER GTに参戦する山本尚貴選手が、今シーズン限りでSUPER FORMULAを引退することになりました。
フォーミュラ・ニッポン、SUPER FORMULAでの成績
山本選手は、2010年にNAKAJIMA RACINGより、SUPER FORMULAの前身であるフォーミュラ・ニッポンにデビュー。
第4戦ツインリンクもてぎ(現・モビリティリゾートもてぎ)で4位に入るなど、シリーズ7位の活躍を見せました。
翌2011年にはTEAM無限に移籍し、2013年の第7戦鈴鹿サーキットの第1レースで初優勝。
この年、シリーズチャンピオンにも輝きます。
2018年には3勝を挙げ、2度目のシリーズチャンピオンを獲得。
SUPER GTでもシリーズチャンピオンに輝き、2冠を達成します。
TEAM DANDELION RACINGに移籍した翌年の2020年にも3度目のシリーズチャンピオン。
SUPER GTでもシリーズチャンピオンに輝き、2度目の2冠を達成。
ここ数年はケガにも苦しめられ、フォーミュラ・ニッポンにデビューしたときに所属していたNAKAJIMA RACINGで向かえた今年は、開幕戦鈴鹿での3位が最高位でした。
フォーミュラ・ニッポン、SUPER FORMULAには、15年参戦し、優勝9回、2位5回、3位6回、シリーズチャンピオン3回でした。
また、2冠を達成した翌年の2019年には、F1参戦に必要なスーパーライセンスが発給され、10月に開催された日本GPでは、トロ・ロッソのマシンを駆ってFP1に出走しました。
coral的思い出
私はフォーミュラ・ニッポンやSUPER FORMULAはあまり見てこなかったため、山本尚貴選手を初めて(TVで)見たのは、2010年のSUPER GT。
TEAM KUNIMITSUから、ホンダ『HSV-010 GT』を駆ってデビューした時です。
『HSV-010 GT』に乗っている姿は、どちらかというとTEAM KUNIMITSU時代よりも、ウィダー モデューロ 童夢レーシング時代の方がよく覚えているのですが(SUPER GT初勝利がウィダーの時だったからかな?)、TEAM KUNIMITSUの創設者である高橋国光さんが好きだったので、山本選手のことはSUPER GTデビューの時からよく知っています。
デビュー当時、「部長」とあだ名をつけられていたのをよく覚えています。
当初から落ち着いた走りを見せていましたが、ベテランの手のひらの上で転がされたことも…
2013年の鈴鹿1000kmでGT500クラス初優勝し、涙を見せるなど、感極まったときに涙を流すシーンが印象的でした。
2020年の最終戦では、燃料がギリギリの状態で、前を行くライバル車を追いつめる姿勢を見せ、レースアンバサダー(レースクイーン)を泣かせたシーンも印象的でしたね。
デビューから、F1鈴鹿GPのFP走行まで順調に駆け上がり、F1に1番近い日本人?と思っていましたが、その夢叶わず、やっぱり難しい世界だなと思った記憶があります。
その後は、ケガとの戦いという印象が。
2023年のSUPER GT第6戦SUGOでのクラッシュにより、その後のレースをすべて欠場。
今シーズンのはじめも、不安とケガの影響を覗わせるコメントが目立ちました。
さらに、SUPER FORMULA第7戦富士では、前方を走行する車両がメカニカルトラブルで失速し、その車両に乗り上げる形で宙を舞うなど、なんでまた…と思うシーンがありました。
SUPER FORMULAの前身であるフォーミュラ・ニッポンにデビューしたときに所属していたNAKAJIMA RACINGで、SUPER FORMULAのキャリアを終えたいという山本選手の意向と、引退を勧めた中嶋監督の思いが重なり、今回のSUPER FORMULA引退に繋がったようです。
SUPER FORMULAは今年で引退ということになりましたが、SUPER GTは来年以降も走ってくれるはず。
1日でも長く走り続けてほしいと思います。
国内トップカテゴリーでの話とは言え、デビューから引退までをこれだけ追い続けた選手はいなかったので、私自身感慨深いものがあります。
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